Tagami – Artist Profile

Tagami Biographie 

Masakatsu Tagami, a.k.a. TAGAMI, was born in 1944 as the youngest child to parents who were farmers, who already had four daughters, in Yamaguchi prefecture in the south of Japan. His father, who was delighted with the birth of his first son, went to a fortune teller to see what the future held for the child and was told that he will be a good for nothing. When he went to another fortune teller, he was also told the same thing. His parents had half given up on him and TAGAMI graduated from a university withouthaving any interest, spending the next seven years reading books at  home and not working.

When TAGAMI was 29, his mother, being concerned about how the society might regard her son, asked him to leave home and he started doing paper rounds in Tokyo. On his second day at work, he saw a notice advertising life drawing class at an art studio and so he wondered in. He found drawing interesting. This was the first time in his life that he found anything interesting. That evening, he rang his father and asked him, ‘I have finally found what I want to do with my life but I don’t think I will be able to make a living from it. Will you support me for the rest of my life?’. The father asked him, ‘What would you do when I die?’. He was pursuaded when TAGAMI answered, ‘I will die too’. From then on, he started drawing and painting all day, living on money sent by his father with his wife whom he met at the art studio. He has only ‘worked’ for two days of his life. ‘Images keep flowing, never drying up. It is as if I have turned on a tap to a huge dam’, he says. All the work is produced without any preparatory drawings or paintings.

He put on two solo exhibitions in the 1970s but they did not result in much interest, and since then, he has not organized exhibitions himself as he feels that such an activity is a waste of time.

私が田上允克さんの絵に出会ったのは、2003年の博多でした。

私のパートナーであるピエール・バルーは、15歳の時から言葉と音楽と映像で自分を取り巻く世界の証言者になろうとして、世界を放浪し、出会った素晴らしい人びとを数多く紹介してきました。彼にとって歌はビジネスではなく、人生を生きるための言語です。

彼は、いわゆるコンサートを開くことに興味がありません。しかし、出会いのため、人との交歓のためであれば、どこにでも行き、ひとにぎりの聴衆のためにでも歌います。
そんな彼の生き方に共鳴してくれたのがヤヒロトモヒロです。彼は、ふだん、生の音楽を聴く機会の少ない地方で、神社、農家、ギャラリーなどの協力を得て、コンサートツアーを行っている異色のパーカッショニストです。その彼が求めるのも、出会い。
バルーは彼にすすめられ、2003年、約6か月にわたって北海道、東北、関西、九州は奄美大島まで列島を縦断するツアーに参加しました。実にさまざまな人びと、地方の文化に触れることのできた忘れがたい音楽の旅でした。

秋、10月、その日は福岡にある「ギャラリー香月」(現在、ギャラリー森田)でコンサートが行われることになっていました。壁にはいくつもの絵が架けられていましたが、ある絵が彼と娘のMAIAの目に止まりました。
バルーは学校教育を拒み、美術館は墓地だと言い切って入ったことさえありません。
そのため正統な美術の知識はありませんが、説明できない強い引力をその絵に感じたようです。旅で出会った感動の数々とともに、その時は作品をビデオカメラに収め、また次の土地へとツアーを続けました。

バルーに同行したフルート奏者で私の長女MAIAは、彼が印象だけに留めた出会いの数々を人とのつながりとして残しました。「ギャラリー香月」で働いていた原田和加子さんが送ってくれたその作家のカラー写真を東京の自宅で受け取ったのも彼女でした。ところが、日本とフランスの間を飛び回っている彼女は机にそれをしまったままで、私に見せたのは半年後でした。

私は見るなり、「これはただものではない。ぜひ本物の作品を観なくては」と直感しました。ギャラリー・オーナーの森田さんと電話のやり取りの後、2005年6月、ようやく私たちは田上さんの実家、山口県の小野田に行くことができました。

作品の評価はご覧になった方にまかせるとして、絵画とともに私たちが山口で発見したのは「田上允克」その人でした。

山口の大学で哲学を学んだ後、30歳まで自分は何にも興味がなく、映画を観ても意見というものが一切ない人間だった、と彼は振り返ります。業をにやした父親に追い出されるように東京に出てきて新聞配達をしていたある日、近所のアトリエ「鷹美」をのぞきます。田上さんはそこで、「これだ」と打ち震えます。すぐに父親に電話をして、やりたいことがやっとみつかったが、どうやらお金にならないので、一生、生活の面倒をみてくださいと頼みます。いぶかる父親が「俺が死んだら?」と聞くと、「自分も死ぬ」と田上さんは答えます。父親は、ただならぬものを感じたらしく承諾してくれたそうです。

その日から30年間、睡眠時間4時間で1日平均3枚から7枚の絵を描いてきました。
エゴとの葛藤やスランプとも無縁で、ひたすら「時間が惜しい」と描き続けます。
まるで目から魂、魂から手へと、一気に電流が流れているようです。
しかも30年間停電することなく。スタイルは一つに固執せず、1日の中でも、抽象だったり漫画風だったりと1枚ごとに変わります。

田上さんは描くのに忙しいため、展覧会を開いても会場に赴くことがありません。作品はほとんど売ったことがないので、小野田の実家の納屋にはアリババの洞窟のように3万点にのぼる膨大な作品が積み上げられています。

アートの狭いマーケットの中で若いうちから既存のカテゴリーに分けられ、バーコードを打たれて箱詰めされた作家たちが世に出ようともがいているとき、田上さんのような芸術家が、人知れずわが道を高速道路のごとく突っ走っている。その爽やかさ、まっとうさに私は驚愕しました。
そして何よりも、彼の作品のレベルの高さに脱帽しました。

彼の優れている点はいくつもあります。その一つが構成力です。レイアウトするとき、四角い紙の上のどこに1本の線を引くべきかを彼は知っており、エラーはありえません。そして、色のセンス。これも、エラーがありません。多くの色を使っても散漫になることがなく、美しさが際だっています。それが絵の集中力とパワーとなり、ただの四角い平面であるはずのものが大声を上げています。

私は田上さんの絵の声の大きさに驚かされました。まるで絵から声が飛びだしてくるようです。

そして最後はデッサン力です。彼は人体しか描きません(想像上の動物を描くこともありますが)。そのデッサンたるや、並みの画家は田上さんの絵を前にして恥いるべきでしょう。
彼の描く人間は皆生きているのです。

田上さんの作品は、どんどん変わって行きます。それは売る方として困ることですが、彼はそんなことは意に介しません。初期はゴヤのような暗い人物グループ、それからジェローム・ボッシュと漫画が合体したようなグリーンやブルーを使った動物や人物の作品。その後、しだいに抽象に向かって行きます。同時に反立体の顔だけのシリーズ。10年ほど前からは、紙に大きな筆で抽象を描いています。これは“誰にでも描ける絵”、こんな風にも描けるんだよという例を示しているのだそうです。

書き忘れましたが、素晴らしいのは版画です。刷る手間が惜しいのでほとんど1枚しか刷っていませんが、1000枚くらいあるそうです。

とにかく百聞は一見にしかず。
田上允克さんの作品をどうぞご覧になってください。

Artist Exhibitions & Articles

2017.09.16 Sat – 10.01 Sun 『飛びたいんです』TAGAMI展 第五弾 Masakatsu Tagami ‘s exhibition

呼吸するように描く 画家 田上允克の新呼吸展です。 オーナーのアツコ・バルーがギャラリーを開いたきっかけの一つでもあるTAGAMI作品をもっと多くの方に知ってもらいたい!という熱い思いで、今回で5回目の個展となりました。 まだTAGAMI画伯を知らない方の為に、改めてアツコさんとの出会い、発見、TAGAMIという人物の紹介をここに書きます。...